2019年12月18日水曜日

「自分らしく生きる」講演会に登壇しました

2019年11月30日(土) に横浜桜木町にて開催された講演会「発達障害~自分らしく生きる」(NPO法人「あではで神奈川」主催) に話者として登壇しました。

(1)NPO法人「あではで神奈川」とは?

神奈川県の横浜を中心に活動している発達障害の当事者会です。会の名称の「あではで」は ADHD をドイツ語読みしたものです。
名前を聞くと ADHD のみを対象としているように聞こえますが、自閉なども含めた発達障害全般の当事者会です。詳細は「あではで神奈川」公式サイトを参照ください。
なお、筆者は第 2 土曜日の「あではでサロン」、第 3 土曜日の「あではでワークス」に毎月顔を出しております。

(2)講演会「発達障害~自分らしく生きる~」とは?

毎年おおよそ11月前後に開催される、NPO法人「あではで神奈川」主催の講演会です。発達障害当事者の話を聞き、自分らしい生き方とは何か考えることが主旨のようです。なお、定員は 40 名で先着順だそうです。
今回は私を含めて 3 人の話者が 1 人 30 分程話し、最後に出席者から質問を受け付けて終了しました。

(3)筆者が話したこと

筆者は 3 人いる話者の 2 番目に登壇しました。話した内容は大まかに以下の 4 つです。

  1. 自己紹介
  2. 筆者の経歴
  3. 発達障害を電卓に例える
  4. 必要なのは理解ではない?

「3.」と「4.」はこのブログの記事から適当なものを選んで話した形です。
「3.発達障害を電卓に例える」は前もって資料を作成し、当日に出席者の方々に配布しました。

(4)配布資料

 ↓ 講演会で配布した資料はこちらです。

「発達障害を電卓に例える」配布資料

資料を使用する際は下記の「使用上の注意」をよくお読みください。

■使用上の注意

【制作・著作】

この資料の著作権は、制作者である 星 将登 にあります。

【改変・二次配布等について】

この資料は、個人利用・商用利用を問わず改変・転載・引用・二次配布を許可します。いかなる用途にも自由に使用できます。その際、著作権者への報告も必要ありません。

【免責事項】

この資料を使用して発生したいかなる損害についても、著作権者は一切の責任を負わないものとします。すべて使用者の自己責任です。

(5)感想など

今まで発達障害について考えてきたことを発表する場はほとんど閲覧者の来ないこのブログが主だったわけですが、今回講演会という場で発表してみてもっと広く情報発信しても良いかなと思うようになりました。
なお、「使用上の注意」の中にさりげなく筆者本名が書いてありますが、当方の本名も公開可能情報です。

2019年4月14日日曜日

必要なのは理解ではない?

(1)発達障害に対する理解とは?

発達障害関係の新聞記事・ネット記事・ブログなどを見ますと、

  • 「発達障害に対する理解がない」
  • 「発達障害に対する理解がまだ進んでいない」
  • 「発達障害に対する無理解が・・・」

というような言葉を多く見かけます。
結構な頻度で見かける・使われる表現なのですが、さて、『発達障害を理解する』とは具体的にどういうことなのでしょうか。
あるいは、『発達障害を理解した状態』とは具体的にどういう状態なのでしょうか。
発達障害のすべての症状を丸暗記したらでしょうか。
発達障害者すべてに対処できるほど膨大な対処例を記憶していることでしょうか。
もしそうなら、この世に発達障害を理解している人は一人もいないことになります。なぜなら、当事者である我々ですら発達障害についてよくわかっていないのですから。

(2)発達障害に対する理解は本当に必要か?

発達障害を完全に理解している人が一人もいないということは、発達障害者と健常者は仲良くすることができないということでしょうか。
答えは否です。
発達障害者と仲良くしている健常者は、現実社会にたくさんいます。しかし、彼らが発達障害に対する理解度が高かったり、知識が豊富かというと必ずしもそうではありません。中には理解度も知識も皆無の人もいます。
このことからも、発達障害者と健常者が仲良くするのに理解や知識が必ずしも必要ではないということがわかります。

(3)発達障害者が本当に必要だったもの

発達障害者と健常者が仲良くするのに必要なものが理解や知識ではないとしたら、本当に必要なものは何でしょうか。あるいは、発達障害者と仲良くできる健常者とそうでない健常者の本当の違いは何でしょうか。
私の経験や他の発達障害者の方々の話から、「発達障害に無理解な人」と呼ばれる人たちには共通した特徴があることがわかります。

  • 「人の話を最後まで聞かない」
  • 「言ったことを否定してくる」
  • 「考えを押しつけてくる」

どうやら、「発達障害者本人を理解しようとしない人」が無理解な人と呼ばれている傾向があるようです。つまり、「発達障害」の知識や理解度は判断基準に入っていないようです。
しかし逆を言えば「発達障害者本人を理解しようとする人」が理解ある健常者と呼ばれているわけですから、この「理解しようとする」という姿勢を発達障害者側へ伝えられれば誰でも理解ある健常者の仲間入りができることになります。ようはコミュニケーション方法を改善すれば良いわけです。

(4)発達障害者とのコミュニケーション方法

では具体的にどうすれば良いかをご説明します。

【その1】話を最後まで聞く

相手が話している途中では決して割り込まず、ツッコミを入れたくても反論をしたくてもグッと堪えて話し終わるのを待ってあげてください。
発達障害者の中には話すのがゆっくりだったり、同じことを複数回言う人もいますが、黙って最後まで話を聞いてください。
相手の話を遮って話してしまうと、相手から「この人は私の話を聞いてくれない」という印象を持たれます。それが反論だった場合はその印象がさらに強くなります。
人の話は最後まで聞く」。
まずは、相手の考え・言いたいことをできるだけ正確に「把握」することを心がけてください。

【その2】わからないことは質問する

相手の言ったことでわからないこと、疑問に思ったことは必ず聞いてください。腫れ物に触れるかのように疑問に思ったことを質問しないのは誤った配慮です。
ただ、気をつけてほしいことが一つあります。それは、この段階でする質問はあくまで相手の考え・言いたいことを把握するためのものだということです。
相手の言っていることが間違っていたり、自分の考えと違っていても、否定したり反論したりせずに一旦置いておいてください。
まずは、相手の考え・言いたいことを漏れなく正確に「把握」することが先決です。

【その3】把握した内容を確認する

相手の話を最後まで聞き、疑問点を質問して、相手の考え・言いたいことを漏れなく正確に把握できたと思えたら、自分が把握した内容を相手に話して間違いや食い違いがないか確認してください。
そして、間違いや食い違いがあった場合はさらに質問をしてそれを無くしてください。
なお、ここで注意するのは、質問するのはあくまでも「把握」のためであって、「理解」のためではないということです。
相手が言っていることが間違っていると思ったとしても、まずはその間違った考えの全体像を正確に「把握」することに努めてください。

【その4】自分を主語にして話す

相手の考え・言いたいことを漏れなく正確に把握することができたら、いよいよこちらから発言する番です。
この時気をつけことの 1 つ目は、「自分を主語にして話す」ことです。
「自分を主語にして話す」というのは、「一般的には・・・」とか「普通は・・・」というような話し方ではなく、「私は~~だと思う・考える・判断する」という言い方をします。
これはつまり、自分の考えと相手の考えが異なっていても相手の発言を否定しないということです。
たとえ相手が間違っていると思っても、「私はあなたの言っていることに反対だけど否定はしない」ということを意識して心がけてください。
「否定しない=賛成」ではないのです。
また、相手の発言を否定すると、相手から「この人は私を理解してくれない」という印象を持たれます。
相手の言っていることが間違いで、自分の方が正しい時は、つい相手を否定して反論しがちです。そしてそれは、相手が自分の間違えを認めて考えを改めるという効果を期待して行われていることと思います。
しかし、相手を否定して反論すると、相手は「この人は自分とは相容れない人間だ」と思って、話を聞いてくれなくなります。考えを改める効果なんて全く望めません。
人間関係が悪くなるだけで、百害あって一利なしなのです。

【その5】相手に考えさせる

では、相手の考えや発言に間違いがある場合はどうすれば良いのでしょうか。それは、「相手に考えさせる」のです。
例えば、「あなたのやり方では~~な場合に○○な問題が起きますが、その場合はどうしたら良いと思いますか?」です。
「どうしたら良いと思う?」と問いかけて相手に考えさせ、あくまで自分から間違いに気づかせるのです。
ただし、相手が間違いに気づいたからと言って、「それみたことか。だからこうしろ!」と自分の考えを押しつけてはいけません。
「こうしたらどうだろうか」と「提案」をし、それを「相手に考えさせる」のです。
相手は考えた結果、あなたの提案を受け入れる場合もありますし、質問が返ってきたり、逆に未知の問題点を指摘してくれる場合もあります。
何にせよ、相手の話を最後まで聞いてあげてください。つまり、【その1】に戻ります。
その後は【その1】から【その5】を繰り返すだけです。

【その6】諦める

世の中には、考えない人、考えるのが苦手な人、考えることができない人がいます。
感情論で動いていて、全く考えない人。
知能が低くて、考えるの苦手な人
支離滅裂で、論理的に考えることができない人。
また、そもそも人の話を聞かない人、人の話を理解できない人というのもいます。そして、そのような人たちには前述の【その1】から【その5】を実践してもうまくいきません。それは、発達障害か否かは全く関係ありません。健常者の中にもいますよね、言葉は通じているのに話が通じない人。そのような人たち相手にはどんなに頑張っても無駄です。諦めるしかありません。
もちろん、相手の発言を否定したり、考えを押しつけるやり方も、このような人たち相手には無意味です。

(5)まとめ

発達障害者に対する配慮に必要なのは理解ではなく、コミュニケーション方法の改善なのではないか。
という話だったわけですが、ぶっちゃけここに書いたコミュニケーション方法は健常者相手にも有効です。というよりも、コミュニケーションの基礎とされていることと、ほとんどやってることは同じです。
でもこの基礎ができていない人がとても多いです。人の話を最後まで聞かないで発言し出す人とかほんと多いです。
昨今、発達障害がメディアで紹介されることも多くなり、発達障害への理解の必要性が叫ばれておりますが、本当に必要なのは国民のコミュニケーション基礎教育なのかもしれません。

2018年3月28日水曜日

コミュニケーション障害の誤解

「コミュニケーション障害」という障害があります。私もこの障害を持っているのですが、健常者に「私はコミュニケーション障害がある」と言うと多くの場合「そうは見えない」と言われます。
そしてその理由を尋ねると、「それなりにしゃべるから」「聞き上手だから」「友好的だから」などの言葉が返ってきます。どれもコミュニケーション障害の人でも持ちうる要素です。
世間では「コミュニケーション障害」は「対人関係が苦手な人、億劫な人」という意味で定着しおり、ネットには自称コミュ障がたくさんいますが、この定義は誤りです。
コミュニケーションとは「人が互いにに意思・感情・思考を伝達しあうこと」で、本来のコミュニケーション障害とは大まかに言えば「コミュニケーションにしばしば齟齬が生じること」です。
つまり、対人関係が苦手だろうと、対人関係が億劫だろうと、コミュニケーションに齟齬が生じていなければコミュニケーション障害ではないのです。 ですので、コミュニケーション障害の人であっても、友好的な人、友人が多い人、よくしゃべる人、話すのが好きな人、明るい人が多くいます。
では、本来の「コミュニケーション障害」の人とはどのような人なのでしょうか。正確には身体的な原因のもの等も含むのですが、ここでは発達障害に限定した場合の「コミュニケーション障害」を説明します。

(1)皮肉やお世辞がわからない

相手が言ったことを額面通りの意味で受け取ってしまいますので、皮肉やお世辞がわかりません。
また逆に、自分が相手に言った言葉も額面通りに受け取られることしか想定できないため、自分は言葉の通りの意味で言ったはずが相手には皮肉やお世辞として伝わっていたと言うことが発生します。

(2)空気が読めない・察することができない

齟齬が生じるのは言語によるコミュニケーションだけではありません。所謂、「空気が読めない・察することができない」状態です。場の雰囲気にそぐわない発言や行動をしたり、最悪は場の雰囲気をぶち壊す発言や行動をします。
相手や集団から発せられる非言語情報の受け取りに齟齬が生じている状態と言えます。

(3)自覚がない場合が多い

コミュニケーション障害の人の多くは、自分がそうであるという自覚がありません。自覚がある人でも、それは人から指摘されて初めて気づいた人達です。
私の場合、27 歳の時に医師から「コミュニケーション障害がある」と言われましたが、「そんなバカな」と受け入れませんでした。それから何年かして、仕事で上手くいかない理由を探していてようやく自覚に至りました。

(4)不安を抱えている(自覚した人のみ)

コミュニケーション障害の人がそうであると自覚したからといって、それが治るわけではありません。
自覚したまでは良いのですが、実際にどの場面でコミュニケーションに齟齬が生じているかは当人にはわからないのです。それがわかったらそもそも齟齬なんて生じません。
わからないが故に、「今話したことは相手に正しく齟齬無く伝わっただろうか」「自分は相手の言っていることを正しく齟齬無く受け取れているのだろうか」という 2 つの不安が常時付きまといます。常時ですから、自分が何か話す都度、相手が何か話すのを聴く都度です。

以上が、発達障害に限定した場合の「コミュニケーション障害」の特徴です。
ネットに大勢いる自称コミュ障の人達が偽物であること、実際のコミュニケーション障害は自分ではわからないことなどがおわかりいただけたと思います。
もしもあなたのそばに「医者からコミュニケーション障害と診断された」という方がいらっしゃったら、上記のことを思い出して接していただければ幸いです。

2018年3月14日水曜日

健常者と区別がつかない発達障害者

(追記あり:2018年3月27日 火曜日 21:57:00)

発達障害は精神の障害なので見た目は健常者と同じですが、実際に会話等してみると「あれ?この人何かおかしい・・・」と思われる場合が多いです。
しかし逆に、発達障害者と接して「あれ?この人健常者と同じじゃね?どこが障害者なの?」と思ったことのある健常者の方も少なからずおられるのではないでしょうか
発達障害で精神障害の手帳を取得しているはずの人なのに、その人と実際に接しても何が障害なのかわからない、健常者と区別がつかないというケースです。
今回は、この「健常者と区別がつかない発達障害者」について書きたいと思います。

(1)障害を隠蔽する

発達障害は生まれつきの障害なので、当然生まれた時から障害による不自由を強いられています。
また、あくまでも“病気”ではなく“障害”なので、“治る”ということがありません。
しかし健常者を真似して見かけ上だけ“隠蔽”することは色々工夫することである程度のレベルまでは可能です。
ただ、ここ注意してほしいのは、あくまでもそう見えるように振る舞っているだけであり、健常者と同じようにできているわけではないということです。
例えば、「話を聞いて相づちを打つのが苦手」という発達障害者がいたとします。
この方は、決して相手の言っていることが理解できていないわけではないのですが、会話のどこで相づちを打てば良いのかわからないために相づちを打てず、しばしば「ちゃんと話を聞いているのか!?」と怒られていました。
そこでどうしたかというと、相手の言葉の句切りの部分でとにかくうなずくようにしました。文章でいうと句点(。)が来たらとにかくうなずくのです。
すると、「ちゃんと話を聞いているのか!?」と怒られることはなくなったそうです。つまり、見た目上は健常者に見えるようになったのです。
しかし、この方が健常者と同じように相づちを打てるようになったのかと言えば答えは「否」でしょう。
あくまでそう見えるように工夫しただけで、健常者と同じように相づちを打てるようになったわけではありません。
機械的に言葉の句切りの部分でうなずいているだけなので、長時間この方と会話していると「あれ?このタイミングでうなずくのはおかしくないか?」と思われる場面がやはり出てきます。
しかも、相手の言葉の句切りの部分でタイミング良く相づちを打つためにはそれに意識を振り向け、ある程度集中する必要があります。
しかし、会話というのは相手の話していることを理解したり、こちらから話す文章を構築することにも頭を使わなければなりません。
相手の話していることを理解し、こちらから話す文章を構築しながら相手の言葉の句切りの部分に意識を集中してタイミング良く相づちを打つのです。
当然、脳はフル回転になりますから、頭が超疲弊します。会話が終わったらくたくたの放心状態です。
このように、障害を“隠蔽”して健常者に見えるようにするにはとても多大な労力が必要であり、にもかかわらず完全に隠蔽することは難しいのです。

(2)健常者を模倣する

障害を“隠蔽”ではなく、健常者を“模倣”する場合もあります。
私の例で説明しますが、私は「場の空気を読むのが苦手」です。
しかし完全ではないにしろ、所謂「空気読めない発言」を最小限に抑えることに成功しています。
どうやっているかと言いますと、とにかく周囲を意識して観察しまくります。
例えば、会議室で私を含めて 10 人で会議していたとします。
この時私は他の 9 人に意識を向け、各人の表情・仕草などを観察することで場の雰囲気を推測します。
・・・と書くと必ず健常者から突っ込みが入ります。
「そんなの、健常者だって同じだよ。皆そうやって場の空気を読んでる」
健常者の方が言うのですから、健常者もそうなのでしょう。
ただ健常者の場合、「他の 9 人に意識を向け、各人の表情・仕草などを観察することで場の雰囲気を推測する」ということが「周囲をチラ見する」という行動だけで無意識のうちに完了してしまうのです。
無意識のうちに完了するわけですから、頭はさほど疲れません。
対して私の場合、意識してある程度集中力を働かせて行う必要があります。
しかも会議なのですから話している人の話の内容からも意識を外すことができません。
ですので、話し手の話の内容に意識を集中しつつ、他の 9 人にも意識を向けて表情・仕草などを観察しなければなりません。
そうなると当然、脳はフル回転になりますから、頭が超疲弊します。しかも、そんなに頭をフル回転させても場の空気を健常者と同じ精度では読めないのです。
これをわかりやすく例えると次のようになります。
あなたは今地面に立っているとします。そして、あなたから前方 3m 先にテーブルがあり、その上にリンゴが 1 個置いてあるとします。
ここでリンゴを取ってもとの場所へ戻る動作を考えてみたいと思います。
健常者なら次の手順のようにするでしょう。

  1. テーブルの前まで歩く
  2. リンゴを掴む
  3. 回れ右する
  4. 元の場所まで歩く
簡単ですね。
この時、もしこの手順がわからなかったら知的障害者です。歩いて行きたくても脚が無かったら身体障害者です。
では、これが苦手な発達障害者がいたとしたらどうなるのでしょうか。
  1. テーブルの上のリンゴを目で確認して距離を目算する
  2. 前脛の筋肉に少し力を入れて重心を前に移動する
  3. 右大腿筋に力を入れて右脚を上げる
  4. 各部の筋肉を可動して全身のバランスを取る
  5. 右下腿を前方に動かすために筋肉に力を入れる
  6. 左脚を・・・(以下略)
これが発達障害者が健常者を“模倣”するときの手順です。“模倣”するために、健常者が意識していない細かい手順を意識して処理します。
最終的には健常者と同じ動作でリンゴを取って戻ってきますが、上記を一々意識して動いていたら脳が相当疲弊することは想像に難くないでしょう。
健常者と同じスムーズな動きに見せようとすればするほど脳の負担は増していきます。また、処理手順の多さから時々うっかり手順が抜けることもあります。
このように、健常者を“模倣”するにはとても多大な労力が必要であり、にもかかわらず完全に模倣することは難しいのです。
なお、この例はあくまで発達障害者が苦手なことを健常者を“模倣”する時のイメージです。発達障害者であっても、苦手ではないことは健常者と同じ処理手順で普通に処理できますので誤解無きようにお願いします。

以上のように、「健常者と区別がつかない発達障害者」というのは障害を“隠蔽”、あるいは健常者を“模倣”することがある程度上手くいっている人達のことです。
ですので、見た目が普通でも決して健常者と同じではないのです。違和感なく見せるために多大な労力を払っているのです。
コンピュータに例えると、脳内で「健常者エミュレータ」が常時稼働しているようなもので、それが稼働しているため健常者に見えますが、脳のリソースの一部は常時エミュレータに取られています。
ただ、それが理解されないがために、時には「あいつは根性がたりない」と誤解されたり、健常者と同じ仕事量を振られて能力限界を超え、過労で鬱になる場合が結構あります。
もし、あなたが「健常者と区別がつかない発達障害者」と出会ったら、「ああ、この人は今、頭がフル回転しているんだな」と思っていただければ幸いです。

 

【追記:2018年3月27日 火曜日 21:57:00】

既に“隠蔽”と“模倣”の 2 つのケースを挙げましたが、3 つ目がありましたので追記します。

(3)本来とは別の能力で代替する

じつはこのケースは既に過去の記事「発達障害にできる仕事」の罠 (2013年7月13日) にてご紹介済みです。
当該記事では電卓の例を使って分かりやすく説明してありますので、詳細はそちらをご参照ください。
大まかに言いますと、本来はその仕事をする能力は無いが別の能力を代わりに使って見た目上健常者と同じことが出来ているように見えることです。
本来とは別の能力で“代替”しているので、見た目上は健常者と同じですが疲労度まで同じとは限りません。
“代替”した能力がとても優れていて、健常者よりも少ない疲労度で仕事ができるなら何も問題はありませんが、そのようなケースは極めて稀です。大抵は健常者よりも多大な疲労を伴うことが多く、健常者と同じ仕事量を振られるとやはり能力限界を超えて過労で鬱になる場合があります。

以上、“隠蔽”“模倣”“代替”と 3 つのケースをご紹介しましたが、もしかしたらまだ私の知らない他のケースがあるのかもしれません。

2018年2月15日木曜日

「配慮してほしい」は甘えではない

発達障害は障害なので、仕事や生活面で周囲に対していくつか配慮をお願いすることがあります。
「複数の仕事を一度に依頼するときは優先順位を明確にしてほしい」
「仕事を依頼する時に私がメモをとる時間をいただきたい」
「ゆっくり、はっきりしゃべってほしい」
「電話応対を免除してほしい」
他にも発達障害者によって各々多種多様なお願いをさせていただくわけですが、
お願いされた健常者の方によっては、「努力もせずに配慮を求めるのは甘え。まずは実際にやって努力して、それでもダメなら配慮する」と言われて配慮を拒否されることがあります。
どうやら健常者の目には、発達障害者が何も努力をせずに配慮を求めているように映ることが多いみたいです。
まずは実際にやって努力してそれなら・・・、という考えは間違ってはいませんが、発達障害者が何も努力をせずに配慮を求めているというのは大きな誤解です。
何がどう誤解なのかご説明します。

発達障害は生まれつきの障害なので、最初は自覚がありません。中には発達障害でありながらも気がつかずに一生を終える人もいます。
彼らは自覚はありませんが、種々の障害を持っていますから、当然それらを克服しようと努力します。
努力と試行錯誤で工夫を重ね、健常者の何倍もの労力を日々費やしてなんとか普通に生活している人もいます。ちなみにそうして普通に生活している人は、その苦労を他の人も当たり前にやっているものだと思い込んでいます。故に、自分だけが苦労しているという自覚はありません。
そして当然のことながら努力と試行錯誤で工夫を重ねてもどうにもならない人がいます。しかし彼らは自分が発達障害だという自覚がありませんから、延々と努力と試行錯誤で工夫を重ね続ける日々を送ります。来る日も来る日も続くのです。
中には疲れ果てて自ら命を絶つ人もいますが、何かのきっかけで精神病院を受診して医者から「あなたは発達障害です」と診断が下されて初めて自分が発達障害であることを知ります。
めでたしめでたし・・・、とはなりません。まだ試練は続きます。
自分が発達障害であることはわかっても、自分が苦手なこと全てが発達障害によるものとは限らないからです。
例えば電話応対が苦手だとして、それが発達障害によるものであればいくら努力しても克服は不可能です。しかし、もしそれが発達障害によるものでなかったら、もしかしたら努力し続けたら苦手を克服できる日が来るかもしれません。
今日ダメでも明日には克服できるかもしれない。明日がダメでも明後日には・・・。それはダイヤモンドの鉱脈を探して山を掘り進むのに似ています。この山にダイヤモンドは全く埋まっていないかもしれない。でも掘り続けたらダイヤモンドを見つけられるかもしれない。あと 10 cm掘り進めたらダイヤモンドを見つけられる状態かもしれない。そんな思いに駆られるのです。
故に、発達障害の診断が下っても延々と努力と試行錯誤で工夫を重ね続ける日々が続きます。
しかし、人間の精神力は無限ではないのでいつかは尽きて諦めることになります。
「この歳まで努力して頑張ってもダメなのだからもう諦めても良いよね」と思い、やっと解放されるのです。
ちなみに私が解放されたのは 30 歳の時でした。「30 年頑張って努力してダメだったんだからもう諦めても良いよね」と思い、今できないことは全て障害のせいとやっと割り切ることができました。

そのようなわけで、「配慮してほしい」と言うのは甘えではないのです。
何も努力せずに「できないから配慮して」と軽い気持ちで言っているわけではないのです。
ぶっちゃけ、本当は「配慮してほしい」なんて言いたくないんです。
上記のような何年もの努力と苦悩を経て出しているとても重たい言葉なのです。
もしあなたが健常者で、発達障害者を使う立場になった時に「配慮してほしい」と言われたら、ここに書いてあることを思い出していただければ幸いです。

2018年2月14日水曜日

「そんなの誰にでもあるよ」に反論できない

発達障害の症状は、症状そのものは健常者でもよくあるものが多いです。
待つのが苦手、空気を読むのが苦手、片付けが苦手などは確かに健常者でもよくあるものです。
それ故、発達障害者が健常者に具体的な症状を伝えると「そんなの誰にでもあるよ。」と返されることがよくあります。時には「それを配慮してくれというのは甘えだよ」という追加攻撃まで来くることもあります。
確かに症状そのものは健常者でも誰にでもあるものが多いです。しかし、当ブログ「精神障害って何? 発達障害って何?」の記事でも書きましたが、「普通に生きていくことが困難なほど症状が重い」から障害なのです。「症状の内容は誰にでもあったとしても、症状の重さは誰にでもあるものではない」のです。
ところが、「そんなの誰にでもあるよ。」と言われた発達障害者の側が反論できないで終わる場合がとても多いのです。
何故でしょうか。健常者から見れば、相手に誤解されてしまったのですから、反論して誤解を解けば良いだけのはずと思うことでしょう。
というわけで、何故反論できないのかを説明したいと思います。

結論を先に言いますと、それは「自信がない」からです。
何の自信が無いのかと言いますと、「それは誰にでもあるものではない」と明確に否定する自信が無いのです。
何故自信が無いのか。それは、発達障害者は健常者がどういうものか知らないからです。
発達障害は生まれつきの障害ですから、発達障害者は健常者というものを経験したことがありません。発達障害者しか経験したことが無いのです。そして、経験したことが無いわけですから健常者がどういうものかを全く知りません。
健常者がどういうものかを全く知らないということは、健常者から「健常者はこうなんだよ!」と言われてもその真偽を確認する術が全く無いのです。
だから、「そんなの誰にでもあるよ」と健常者に言われた時、「誰にでもある」、つまりそれが「健常者でもある」かどうかが発達障害者には確認不能なのです。
確認不能なのですから、「そうじゃない!」と自信を持って否定することができないのです。
大抵の発達障害者は「もしかしたらこの健常者さんの言うとおりかもしれない・・・」と考えてしまって、全く反論できなくなってしまいます。

ではどうすれば良いのか。
発達障害者の側は、自信を持って否定していくしかありません。
普通に生きていくことが困難なほど症状が重いんです! 症状の内容は誰にでもあったとしても、症状の重さは誰にでもあるものではないんです!
と胸を張って訴えていくしかありません。たとえ自信が無くてもです。
逆に、健常者の側にはここまで書いたことを理解していただけるとありがたいです。理解まで行かなくても、知っておいていただけるだけでも結構です。
発達障害者はその名の通り障害者で、周囲の配慮無しでは生活していくことが難しいです。しかし、逆を言えば適切な配慮さえいただければなんとか生活していくことができます。
ここまで書いたことを知っておいていただけるだけでも立派な配慮です。

昨今、メディアなどで発達障害の症状などはよく報道されていますが、どのように理解すれば良いか、またはどのように配慮すれば良いかの情報はほとんど流れていません。
故に、このブログがその情報の穴を埋める一助になれば幸いです。

2018年2月13日火曜日

発達障害の大変さを説明する

前回から大分時間が空いてしまいましたが、基本的に更新するかどうかは管理人の気まぐれですのでご容赦を。

さて、前回は「できるからといって、健常者と同じようにできているとは限らない」ことを電卓の例で説明しました。
実のところ、この電卓の例は発達障害の大変さをわかりやすく説明する良い例ではないかと我ながら思っていたりします。
というわけで、何がどう良い例なのか発達障害の特徴を挙げつつ説明したいと思います。

ある会社の同じ職場に A さんと B さんの 2 人の社員がいました。
A さんと B さんはそれぞれ電卓を持っていて、A さんの電卓は普通の電卓。B さんの電卓は掛け算のボタンの無い電卓です。
ちなみに、彼らの持っている電卓は持ち主本人にしか見えません
ある日、彼らの上司が A さんと B さんに新しい仕事の指示を出しました。

上司:『10 × 10 の計算をしろ』

A さんは「[1][0][×][1][0][=]」で答えを出しました。
B さんは「[1][0][+][1][0][+][1][0][+][1][0][+][1][0][+][1][0][+][1][0][+][1][0][+][1][0][+][1][0][=]」で答えを出しました。
そして、

A さん:『100 です』
B さん:『100 です』

と報告しました。
それを聞いた上司は『2 人とも問題なく同じようにできているな』と判断しました。
次の日、上司は A さんと B さんにまた新しい仕事の指示を出しました。

上司:『100 × 100 の計算をしろ』

A さんは「[1][0][0][×][1][0][0][=]」で答えを出しました。
B さんは「[1][0][0][+][1][0][0][+]・・・(省略)・・・[+][1][0][0][=]」で答えを出しました。
そして、

A さん:『10000 です』
B さん:『い・・・10000 です。(疲労困憊)』

と報告しました。
それを聞いた上司は『2 人とも問題なく同じようにできているな』と判断しました。
次の日、上司は A さんと B さんにまた新しい仕事の指示を出しました。

上司:『今日から毎日、100 × 100 の計算をしろ』

A さんは毎日「[1][0][0][×][1][0][0][=]」で答えを出します。
B さんは毎日「[1][0][0][+][1][0][0][+]・・・(省略)・・・[+][1][0][0][=]」で答えを出します。
そして毎日、

A さん:『10000 です』
B さん:『い・・・10000 です。(疲労困憊)』

と報告し続けました。A さんは涼しい顔で、B さんは疲れた顔で。
B さんはとても疲れていましたが、『疲れているのは A さんも同じ! A さんも同じことができているのだから自分も頑張らなくては!」と思い、毎日頑張りました。
そうです。B さんは自分の電卓に掛け算のボタンが無いことを知りません。A さんの電卓に掛け算のボタンがあることも知りません。いえ、そもそもこの世に掛け算のボタンが存在することすら知りません。
だから、B さんは自分と A さんは同じ条件だと思い込んだまま頑張り続けました。
しかしある日、限界が来ました。B さんが電卓のボタンを押そうとしても指が動いてくれないのです。
B さんは上司に相談しました。

B さん:『すいません。この仕事は大変すぎて私にはもうできません。』

しかし上司は言いました。

上司:『何を言っているんだね。君は A 君と同じようにできてるじゃないか。できないなら仕方が無いけど、A 君と同じように出来ているのにやりたくないというのは怠慢だよ。それは認められない。』

上司はとりあってくれませんでした。
そうです。B さん本人だけでなく上司も B さんの電卓に掛け算のボタンが無いことを知らないのです。
また、B さん自身も自分の電卓に掛け算のボタンが無いことを知らないので、上司に反論することができませんでした。
そして、B さんは『自分は無能な人間なんだ』と思い込み、うつ病になって会社に行けなくなってしまいました。

内容は前回書いたのと全く同じです。それでは発達障害の特徴を挙げていきたいと思います。

(1)障害が他者から見えない

B さんの電卓は周囲の人から見えません。故に、B さんの電卓に掛け算のボタンが無いことも見えません。発達障害は外から見えないのです。

(2)障害があることを自分で気づかない

B さんの電卓には掛け算のボタンが無いわけですが、B さんは他者の電卓を見たことがないので、そのことを B さん自身が知りません。
発達障害は生まれつきの障害なので、発達障害者は健常者というものを経験したことがありませんから、健常者がどういうものかを知ることができない。健常者がどういうものかわからないから、健常者と自分を比較して違いの有無を確認できないということです。
故に、発達障害者は障害があることを自分で気づかないのです。

(3)障害の具体的症状が自分でわからない

B さんは A さんの電卓を見られないので、自分の電卓に掛け算のボタンが無いことを知ることができません。ましてや、この世に掛け算のボタンが存在することすら知りません。
発達障害者は漠然とした生き辛さを感じてはいるものの、それが具体的に障害のどういう症状が原因なのか自分でわからないのです。

(4)障害の具体的症状を相手にうまく説明できない

B さん自身が自分の電卓に掛け算のボタンが無いことを知ることができないわけですから、掛け算のボタンが無いことを上司に説明できません。
発達障害者は自身の障害の具体的症状を相手にうまく説明できないのです。

(5)どういう配慮をしてもらえば良いかわからない

もしも B さんが A さんの電卓を見ることができたら、B さんは「掛け算のボタンが無いから、それを使わない仕事にしてください」と上司に言うことができて問題は解決できました。しかし、実際には B さんは A さんの電卓を見ることができないのでそれはとても困難なことです。
発達障害者は障害の具体的症状が自分でわからないが故に、どういう配慮をしてもらえば良いかわからないのです。

以上です。いかがでしょうか。発達障害の何が大変かおわかりいただけましたでしょうか。
私自身、発達障害の大変さを健常者に理解してもらおうと今まで色々試してきましたが、この電卓の例を出すのが一番効果的でした。病院のデイケアの精神保健福祉士さんからも「わかりやすい」と言われました。

ちなみに、ここまで読んだ人の大半は「じゃあ、どうすれば良いの?」と思うことでしょう。私自身もそう思います。
ぶっちゃけ、一発解決する方法は現在のところありません。日常生活や仕事中で、おかしなところを周囲の人に指摘してもらったり、発達障害者どうしで情報交換したりしながら試行錯誤していくしかないのが現状です。
ただ、おかしなところを周囲の人に指摘してもらったりするにも周囲の理解が必要ですが、世間一般の理解はほとんど無いに等しいです。
上記の電卓の例はそんな周囲の理解を少しでも得られるようにするために私自身が考え出しました。
この電卓の例が少しでも読者さんのお役に立てれば幸いです。

2017年7月23日日曜日

「発達障害にできる仕事」の罠

前回は、発達障害者は自身の障害の具体的な症状がわからないという内容で記事を書きましたが、今回はその続きです。
今回は、自身の障害の具体的な症状がわからないとどういう困ったことが起こるか書いていこうと思います。

(1)就職活動編

就職活動と言えば面接です。企業の障害者雇用の面接に行くと必ず質問されるのが「あなたの障害はどうのようなものですか?弊社はどのような配慮をすれば良いですか?」というものです。
しかし、自身の障害の具体的な症状がわからない発達障害の人は頭を抱えます。当たり前ですね、説明できないんですから。
大体の人は、辛うじて現段階でわかっている部分のみを答えるという感じにならざるを得ません。
あと、「出来ない作業はありますか?それはどのような作業ですか?」という質問も困ります。
自身の障害の具体的な症状がわからないので、経験の無い作業は出来るか出来ないか判断できません。やってみなければわからないのです。
そんな状態ですから、面接官の質問にスラスラと答えることが出来ず、相手に悪印象を与えて不合格になることが多いのではないでしょうか。

(2)就労編

なんとか就職しても試練は続きます。
上司から新しい未知の仕事を与えられて「この仕事はできる?」と聞かれても自分自身出来るかどうかの判断が出来ません。もしかしたら出来るかもしれませんし、出来ないかもしれません。強いて答えるのならば「やってみないとわかりません」としか言えません。
そして実際にやってみて、出来なかったら「無理です、出来ません」と答え、自身の出来ないことリストに新たな項目が加えられて終わりです。
逆に、出来た場合は上司に「出来ました」と報告して、自身の出来ることリストに新たな項目が加えられて万々歳!良かった良かった。
・・・と思いますよね? 出来たんだから何も問題ないと思いますよね?
もちろん、発達障害者本人にその仕事を普通に遂行する能力があれば問題ありません。ようは、健常者と同じロジックでできていれば良いのです。
ところが、そうでない場合があります。発達障害者本人にその仕事を遂行する能力が無いにもかかわらず仕事が出来てしまった場合です。
『どういうこと?』と思われるかもしれませんので、ここで一つ例え話をします。

ある会社の同じ職場に A さんと B さんの 2 人の社員がいました。
A さんと B さんはそれぞれ電卓を持っていて、A さんの電卓は普通の電卓。B さんの電卓は掛け算のボタンの無い電卓です。
ちなみに、彼らの持っている電卓は持ち主本人にしか見えません
ある日、彼らの上司が A さんと B さんに新しい仕事の指示を出しました。

上司:『10 × 10 の計算をしろ』

A さんは「[1][0][×][1][0][=]」で答えを出しました。
B さんは「[1][0][+][1][0][+][1][0][+][1][0][+][1][0][+][1][0][+][1][0][+][1][0][+][1][0][+][1][0][=]」で答えを出しました。
そして、

A さん:『100 です』
B さん:『100 です』

と報告しました。
それを聞いた上司は『2 人とも問題なく同じようにできているな』と判断しました。
次の日、上司は A さんと B さんにまた新しい仕事の指示を出しました。

上司:『100 × 100 の計算をしろ』

A さんは「[1][0][0][×][1][0][0][=]」で答えを出しました。
B さんは「[1][0][0][+][1][0][0][+]・・・(省略)・・・[+][1][0][0][=]」で答えを出しました。
そして、

A さん:『10000 です』
B さん:『い・・・10000 です。(疲労困憊)』

と報告しました。
それを聞いた上司は『2 人とも問題なく同じようにできているな』と判断しました。
次の日、上司は A さんと B さんにまた新しい仕事の指示を出しました。

上司:『今日から毎日、100 × 100 の計算をしろ』

A さんは毎日「[1][0][0][×][1][0][0][=]」で答えを出します。
B さんは毎日「[1][0][0][+][1][0][0][+]・・・(省略)・・・[+][1][0][0][=]」で答えを出します。
そして毎日、

A さん:『10000 です』
B さん:『い・・・10000 です。(疲労困憊)』

と報告し続けました。A さんは涼しい顔で、B さんは疲れた顔で。
B さんはとても疲れていましたが、『疲れているのは A さんも同じ! A さんも同じことができているのだから自分も頑張らなくては!」と思い、毎日頑張りました。
そうです。B さんは自分の電卓に掛け算のボタンが無いことを知りません。A さんの電卓に掛け算のボタンがあることも知りません。いえ、そもそもこの世に掛け算のボタンが存在することすら知りません。
だから、B さんは自分と A さんは同じ条件だと思い込んだまま頑張り続けました。
しかしある日、限界が来ました。B さんが電卓のボタンを押そうとしても指が動いてくれないのです。
B さんは上司に相談しました。

B さん:『すいません。この仕事は大変すぎて私にはもうできません。』

しかし上司は言いました。

上司:『何を言っているんだね。君は A 君と同じようにできてるじゃないか。できないなら仕方が無いけど、A 君と同じように出来ているのにやりたくないというのは怠慢だよ。それは認められない。』

上司はとりあってくれませんでした。
そうです。B さん本人だけでなく上司も B さんの電卓に掛け算のボタンが無いことを知らないのです。
また、B さん自身も自分の電卓に掛け算のボタンが無いことを知らないので、上司に反論することができませんでした。
そして、B さんは『自分は無能な人間なんだ』と思い込み、うつ病になって会社に行けなくなってしまいました。

まず補足ですが、物語中の A さんは健常者で B さんは障害者です。そして、B さんの電卓に掛け算のボタンが無いのが障害の具体的な症状です。
B さんは本来掛け算をする能力が無いのですが、別の能力「足し算」で補っています。
そうです。これが「その仕事を遂行する能力が無いにもかかわらず仕事が出来てしまった」状態です。
発達障害の人の中でも比較的能力の高い人に発生しがちで、その仕事をする能力が欠如しているから本来はできないはずなのに他の能力を使ってできてしまう場合があるのです。
とは言え、例え別の能力を使っていたとしても疲労度が本来の能力を使う場合より少なかったりする場合は問題にはなりません。でもそう都合良く行くことは極々まれで、大抵は本来の能力を使うより疲労します。
そしてこの問題の最も厄介なのは、実際に発達障害に仕事をさせて出来たときにこの問題が起きているかどうかはぱっと見ではわからないということです。
ぶっちゃけ本人もわかりません。
でも、これを知らないと物語中の B さんのようにうつ病になることもありえます。まさに「発達障害にできる仕事の罠」です。
ではどうすれば良いかというと・・・。はっきり言ってこれをやれば一目瞭然!な方法はありません。
ある程度の期間仕事をさせて、極端に疲労する仕事は外す程度のことしかできません。
何か、障害の具体的な症状を可視化する装置、あるいは手法とかがあればこのような苦労は無くなるのでしょうが、現状では存在しません。

(3)総論

というわけで、世の中の発達障害を雇用する方たちに知っておいてほしいのは、

「出来るからといって、健常者と同じようにできているとは限らない」

ということです。
どうか、心に留め置いていただければと思います。

2017年7月22日土曜日

自分からも見えない障害

発達障害で当事者が困ることの最たるものは「障害が目に見えない」ことだと思います。
こう書くと、「確かに見た目で健常者と区別がつかないから大変だよねー」と思われるでしょう。しかし、実のところその認識では不足で、実際はもっと深刻な問題だったりします。
何がどう深刻なのかと言いますと、発達障害の本人からも自分の障害が見えないんです。

(1)気がつかない、発見が遅れる

世の中の発達障害の人の多くは自身の障害を自覚する前は、社会生活の中において「自分はちょっと変わってる?」という漠然とした感覚を持って生きていますが、自分が障害者であるとはなかなか気がつきません。
発達障害であるが故の苦労も当然している訳ですが、「これは自分以外のみんなも普通にしている苦労だろう」と思っていて、まさか自分が発達障害であるなどとは思いもしません。
何故そう思ってしまうか。それは、「障害が目に見えない」からと、「健常者がどうしているか知らない」からです。
自身の障害が自分の目で見えていれば、ぱっと見てわかりますし、健常者がどうしているかを知っていればそれと自身を比べて自分だけが苦労をしていることに気がつくことが出来ます。
しかし実際は、発達障害は目に見えませんし、健常者の生活を体験することもできないため、生きづらいまま生きていきます。
そのまま頑張ってなんとか人生を全うする人もいますが多くの発達障害者は途中でどうにもならなくなり、その中でたまたま発達障害という障害を知って「もしかして自分はこれなのでは?」と思った人が病院の門を叩きます。

(2)障害の具体的な症状がわからない

自身が発達障害だと気づき、病院へ行って診断が下されても苦労は続きます。
「あなたは発達障害です」と診断されても、具体的な症状が自分でわからないのです。
何故か。それはやはり「障害が目に見えない」からと「健常者がどういうものか知らない」からです。
こう言うと発達障害以外の方は『具体的な症状なんての診断すればわかるでしょ。診断した医者に聞けば解決!』と思うかもしれません。しかし、現実は厳しいのです。
まず、ネットなどで発達障害の症状を調べると、大変多くの症状の例が出て来ます。しかし発達障害だからと言って、それら全てが一人に当てはまる訳ではありません。
それらのいくつかだけが当てはまったり、症例に無い症状があったりします。例えば発達障害が百人いたとしたら全く症状が同じ人は一人もいないのが普通です。
そして、発達障害とわかっても、医者からは「自閉の傾向がある。コミュニケーション障害もある」という程度しか教えられず、具体的な細かい症状は不明なのです。
例えば、一言で「コミュニケーション障害」と言っても、皮肉や社交辞令が通じない、空気を読むのが苦手、音声による意思疎通が苦手など、色々なパターンがあります。
ある「コミュニケーション障害」のある発達障害の方で、健常者の方と会話すると何故か相手が突然怒り出すことがあるというケースがあったとします。医者はこのような「これまでの事実」をもとに診断しますが、この場合、皮肉や社交辞令を理解出来ないからなのか、空気を読めないためなのか、音声による意思疎通が苦手だからなのかなどの根本的な原因、つまり具体的症状まで踏み込んで診断しません。故に、医者に聞いても具体的な症状までわかるのは極まれです。
さて、そうなると障害の具体的な症状は自分で探るしかありません。しかしそれを拒むのは先に述べた「障害が目に見えない」と「健常者がどういうものか知らない」の 2 つです。
「障害の具体的な症状」というのは、言い換えると「健常者とは異なっている部分」です。これを認識するためには自身の頭の中と健常者の頭の中を比較することが必要です。
しかし、人間の頭の中は目に見えません。無論、物理的に解剖しても無駄です。この場合の“頭の中”とは、頭の中でどのように情報を処理しているかだからです。また、発達障害者本人が一度健常者を体験してみれば「健常者とは異なっている部分」が丸わかりですが、この方法も現代の科学ではまだ不可能です。
とにもかくにも、発達障害者は自身の障害の具体的な症状が正確にわからないのです。
さて、この“具体的な症状がわからない”ということは、健常者に対して“具体的な症状を説明できない”ということでもあり、また“具体的な対処法もわからない”ということでもあります。
身体障害なら「目が見えない」、「耳が聞こえない」、「歩けない」など。知的障害なら「IQ が○○以下」など、当事者も健常者も症状を把握しやすいですが、発達障害はそれがとても困難なところが身体障害や知的障害などの他の障害との大きな違いと言えます。
そして、発達障害者が社会生活を送るには健常者の方々にある程度の配慮をしてもらう必要があるわけですが、そのために健常者の方に「~~の症状があるが、○○なことに気をつけていただければ大丈夫です」と伝えたくても具体的な症状・対処法を説明することが難しく、当事者も周囲の人も双方が頭を抱える事態になります。
先の「コミュニケーション障害」の例の場合、皮肉や社交辞令を理解出来ないのならそれを前もって伝えておくことでトラブルを回避出来ます。ですが、発達障害の場合それがとても難しいのです。
とは言え、「こうすれば自身の具体的な症状がわかる!」という画期的な方法も無く、ほとんどの発達障害者の最大の悩みとなっています。

ちなみに私個人としては、ネットで症例を見て回って自分に当てはまるかを考えたり、発達障害の当事者会の茶話会に出て他の当事者の方の話を聞くなどして、日々自分研究の日々です。恐らくこの作業は一生続くのだろうなと思っています。
一度でも良いので健常者といものを体験できれば、自身と健常者の違いがわかって一発解決なのですが・・・。

2017年7月9日日曜日

精神障害って何? 発達障害って何?

 障害の中には大きく分けて「身体障害」、「知的障害」、「精神障害」の 3 種類があります。
「身体障害」と「知的障害」はどのようなものなのか、障害を持っていないいわゆる健常者の方でもわかると思いますが、「精神障害」はわかりづらいのではないでしょうか。
おおよそですが、「身体障害」は身体の一部が欠損、あるいは機能不全がある人。「知的障害」は知能指数が基準値未満の人というように理解しやすいのに比べ、「精神障害」は何が何なのか全くわからないのが普通だと思われます。

1.精神障害とは

 「精神障害」の正確な定義は医学や法律によって定められていますが、実のところそれらを読んでも一般人な私にはよくわからりません。ここには書かないので興味がある人はネットで検索などしてみて調べてみてきださい。
ただ、自分が精神障害者になったことと、他の色々な精神障害者さんと接しているうちになんとなくはわかってきました。
大体は「精神面に機能欠如、あるいは機能不全がある人」という感じです。
ある意味、「身体障害」の精神版のようなものとも言えるかもしれませんね。
ただ、「精神障害」は「身体障害」と違って厄介な点があります。それは、障害が外から見えないことです。
そして、見えないが故に周囲の理解が得られづらく、誤解されたりする場合も多いです。
そしてその誤解の最たるものは「なんだか危ない人?」というものでしょう。
実際、大多数の精神障害者さんに危険は無いです。中には狂ったように暴れたり暴力を振るう症状の方もいますが、それは少数です。
健常者の中にも暴れたり暴力を振るう人がいるのと数的には変わりありません。
むしろ、外に向けられるはずのストレスを心の中にため込みすぎたために後天的に精神障害になる人もいます。
逆に、日頃から暴力を振るうような人はストレスが貯まりにくいので、精神を病む人は少ないです。

2.発達障害とは

私自身が発達障害なわけですが、これを説明するのは超大変です。
特徴として言えるのは、以下のことです。

(1)先天的なものである

つまり、生まれつきであって親の育て方が原因ではありません。
これは既に医学的にわかっていることです。

(2)治癒は不可能。治らない

発達障害を治療して健常者と同等のすることは現代医学では残念ながらまだできません。
ただ、投薬で症状の一部を軽減したり、生活の工夫などで生きやすくなる場合がありますので、実際の治療もこれらが中心です。

(3)症状が多岐に渡る

症状の種類が多いです。超多いです。
時には真逆の症状の場合もありますいし、同じ発達障害の人でも全く同じ症状の人がいないです。
実際の症状の例は多いし書くのも面倒なので、ネットで検索してください。(汗)
よくテレビの発達障害特集などで症状の例が出てますが、あれは症状の例のほんのごく一部です。
あれを見て発達障害のことをわかった気になった健常者が素人診断で「おまえは発達障害だ!」と言ったり、逆に発達障害の診断を受けている人に対して「おまえは発達障害じゃない!」と言うのは発達障害あるあるの一つです。
また、専門医でも診断は難しく、検査をいくつもやったり、本人が生まれてから今に至るまでの細かい聞き取りを本人だけでなく家族からも行います。
それらを専門医が総合的に見て診断を下すので、診断に数ヶ月要する場合もあります。
テレビで得た知識程度で診断ができるほど発達障害は単純ではないのです。

(4)診察できる医師が超少ない

少ないです。診察できる医師は予約が数ヶ月先まで埋まってるとかザラです。

で、上記を踏まえた上で私流に超かみ砕いて一言で説明すると、「脳の機能の一部が正しく機能していないことにより、生きづらさが生じること」です。
おそらく、ここまで読んでも発達障害が何なのか全くわからないと思います。
ネットで症状の例を検索するといろいろ出てきますが、それらを読んで大抵の人はこう思うでしょう。

「こんなの誰にでもあるよ」

そのとおりなんです。誰にでもあるような症状ばかりなんです。だから、発達障害の人が自分の症状を健常者に伝えると「そんなの誰にでもあるよ」と言われるんです。

「え!? じゃあ発達障害ってなんなのよ!!」

そう思うのも無理もありません。しかし、発達障害は立派な障害なんです。それを理解するヒントは「脳の機能の一部が正しく機能していないことにより、生きづらさが生じること」という説明文の中にあります。
この中の「生きづらさが生じること」の部分がそれです。
実は、「普通に生きていくことが困難なほど症状が重い」のです。
つまり、誰にでもある症状だけど症状の重さが段違いなんです。想像を絶するほど重いんです。あまりの重さに病院に入院したまま人生を終える人もいるくらいなんです。
だから障害なんです。だから障害者手帳が交付されるんです。

と、ここまで書きましたが一度に沢山書きすぎても後々ネタ切れになって困るだけなので今回はこの辺で。
説明不足な部分がとても多くありますが、それらは今後の記事で埋めていきたいと思います。

自己紹介

はじめまして、「しましま郷」と申します。

【プロフィール】

  • 名前:しましま郷(読み:しましまきょう)
  • 性別:
  • 生年:1970 年代生まれ
  • 住処:横浜市内
  • 職業:会社員
  • 趣味:自作 PC、PC ゲーム、プログラミング
  • 学業:数学・理科が得意。社会は普通。国語・英語は苦手。
  • 性格:論理的思考を好む。几帳面で整理整頓。面倒くさがり
  • 座右の銘:チャンスは行動する者のもとに訪れる

【障害概要】

  • 診断名:広汎性発達障害(自閉スペクトラム症)
  • 診断詳細:自閉とコミュニケーション障害がある。ADHD ではない
  • 診断時期:2006 年
  • 障害等級:精神障害 2 級
  • 苦手:察する、皮肉を理解する、空気を読む、マルチタスク
  • 得意:ルーチンワーク、手先の器用さを要求される作業

【このブログについて】

緩く不定期に気が向いた時に思ったことを書いていこうと思います。
内容も、特に障害に関することに限定せずに書くつもりです。

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とりあえずこんなところでしょうか。