2018年3月14日水曜日

健常者と区別がつかない発達障害者

(追記あり:2018年3月27日 火曜日 21:57:00)

発達障害は精神の障害なので見た目は健常者と同じですが、実際に会話等してみると「あれ?この人何かおかしい・・・」と思われる場合が多いです。
しかし逆に、発達障害者と接して「あれ?この人健常者と同じじゃね?どこが障害者なの?」と思ったことのある健常者の方も少なからずおられるのではないでしょうか
発達障害で精神障害の手帳を取得しているはずの人なのに、その人と実際に接しても何が障害なのかわからない、健常者と区別がつかないというケースです。
今回は、この「健常者と区別がつかない発達障害者」について書きたいと思います。

(1)障害を隠蔽する

発達障害は生まれつきの障害なので、当然生まれた時から障害による不自由を強いられています。
また、あくまでも“病気”ではなく“障害”なので、“治る”ということがありません。
しかし健常者を真似して見かけ上だけ“隠蔽”することは色々工夫することである程度のレベルまでは可能です。
ただ、ここ注意してほしいのは、あくまでもそう見えるように振る舞っているだけであり、健常者と同じようにできているわけではないということです。
例えば、「話を聞いて相づちを打つのが苦手」という発達障害者がいたとします。
この方は、決して相手の言っていることが理解できていないわけではないのですが、会話のどこで相づちを打てば良いのかわからないために相づちを打てず、しばしば「ちゃんと話を聞いているのか!?」と怒られていました。
そこでどうしたかというと、相手の言葉の句切りの部分でとにかくうなずくようにしました。文章でいうと句点(。)が来たらとにかくうなずくのです。
すると、「ちゃんと話を聞いているのか!?」と怒られることはなくなったそうです。つまり、見た目上は健常者に見えるようになったのです。
しかし、この方が健常者と同じように相づちを打てるようになったのかと言えば答えは「否」でしょう。
あくまでそう見えるように工夫しただけで、健常者と同じように相づちを打てるようになったわけではありません。
機械的に言葉の句切りの部分でうなずいているだけなので、長時間この方と会話していると「あれ?このタイミングでうなずくのはおかしくないか?」と思われる場面がやはり出てきます。
しかも、相手の言葉の句切りの部分でタイミング良く相づちを打つためにはそれに意識を振り向け、ある程度集中する必要があります。
しかし、会話というのは相手の話していることを理解したり、こちらから話す文章を構築することにも頭を使わなければなりません。
相手の話していることを理解し、こちらから話す文章を構築しながら相手の言葉の句切りの部分に意識を集中してタイミング良く相づちを打つのです。
当然、脳はフル回転になりますから、頭が超疲弊します。会話が終わったらくたくたの放心状態です。
このように、障害を“隠蔽”して健常者に見えるようにするにはとても多大な労力が必要であり、にもかかわらず完全に隠蔽することは難しいのです。

(2)健常者を模倣する

障害を“隠蔽”ではなく、健常者を“模倣”する場合もあります。
私の例で説明しますが、私は「場の空気を読むのが苦手」です。
しかし完全ではないにしろ、所謂「空気読めない発言」を最小限に抑えることに成功しています。
どうやっているかと言いますと、とにかく周囲を意識して観察しまくります。
例えば、会議室で私を含めて 10 人で会議していたとします。
この時私は他の 9 人に意識を向け、各人の表情・仕草などを観察することで場の雰囲気を推測します。
・・・と書くと必ず健常者から突っ込みが入ります。
「そんなの、健常者だって同じだよ。皆そうやって場の空気を読んでる」
健常者の方が言うのですから、健常者もそうなのでしょう。
ただ健常者の場合、「他の 9 人に意識を向け、各人の表情・仕草などを観察することで場の雰囲気を推測する」ということが「周囲をチラ見する」という行動だけで無意識のうちに完了してしまうのです。
無意識のうちに完了するわけですから、頭はさほど疲れません。
対して私の場合、意識してある程度集中力を働かせて行う必要があります。
しかも会議なのですから話している人の話の内容からも意識を外すことができません。
ですので、話し手の話の内容に意識を集中しつつ、他の 9 人にも意識を向けて表情・仕草などを観察しなければなりません。
そうなると当然、脳はフル回転になりますから、頭が超疲弊します。しかも、そんなに頭をフル回転させても場の空気を健常者と同じ精度では読めないのです。
これをわかりやすく例えると次のようになります。
あなたは今地面に立っているとします。そして、あなたから前方 3m 先にテーブルがあり、その上にリンゴが 1 個置いてあるとします。
ここでリンゴを取ってもとの場所へ戻る動作を考えてみたいと思います。
健常者なら次の手順のようにするでしょう。

  1. テーブルの前まで歩く
  2. リンゴを掴む
  3. 回れ右する
  4. 元の場所まで歩く
簡単ですね。
この時、もしこの手順がわからなかったら知的障害者です。歩いて行きたくても脚が無かったら身体障害者です。
では、これが苦手な発達障害者がいたとしたらどうなるのでしょうか。
  1. テーブルの上のリンゴを目で確認して距離を目算する
  2. 前脛の筋肉に少し力を入れて重心を前に移動する
  3. 右大腿筋に力を入れて右脚を上げる
  4. 各部の筋肉を可動して全身のバランスを取る
  5. 右下腿を前方に動かすために筋肉に力を入れる
  6. 左脚を・・・(以下略)
これが発達障害者が健常者を“模倣”するときの手順です。“模倣”するために、健常者が意識していない細かい手順を意識して処理します。
最終的には健常者と同じ動作でリンゴを取って戻ってきますが、上記を一々意識して動いていたら脳が相当疲弊することは想像に難くないでしょう。
健常者と同じスムーズな動きに見せようとすればするほど脳の負担は増していきます。また、処理手順の多さから時々うっかり手順が抜けることもあります。
このように、健常者を“模倣”するにはとても多大な労力が必要であり、にもかかわらず完全に模倣することは難しいのです。
なお、この例はあくまで発達障害者が苦手なことを健常者を“模倣”する時のイメージです。発達障害者であっても、苦手ではないことは健常者と同じ処理手順で普通に処理できますので誤解無きようにお願いします。

以上のように、「健常者と区別がつかない発達障害者」というのは障害を“隠蔽”、あるいは健常者を“模倣”することがある程度上手くいっている人達のことです。
ですので、見た目が普通でも決して健常者と同じではないのです。違和感なく見せるために多大な労力を払っているのです。
コンピュータに例えると、脳内で「健常者エミュレータ」が常時稼働しているようなもので、それが稼働しているため健常者に見えますが、脳のリソースの一部は常時エミュレータに取られています。
ただ、それが理解されないがために、時には「あいつは根性がたりない」と誤解されたり、健常者と同じ仕事量を振られて能力限界を超え、過労で鬱になる場合が結構あります。
もし、あなたが「健常者と区別がつかない発達障害者」と出会ったら、「ああ、この人は今、頭がフル回転しているんだな」と思っていただければ幸いです。

 

【追記:2018年3月27日 火曜日 21:57:00】

既に“隠蔽”と“模倣”の 2 つのケースを挙げましたが、3 つ目がありましたので追記します。

(3)本来とは別の能力で代替する

じつはこのケースは既に過去の記事「発達障害にできる仕事」の罠 (2013年7月13日) にてご紹介済みです。
当該記事では電卓の例を使って分かりやすく説明してありますので、詳細はそちらをご参照ください。
大まかに言いますと、本来はその仕事をする能力は無いが別の能力を代わりに使って見た目上健常者と同じことが出来ているように見えることです。
本来とは別の能力で“代替”しているので、見た目上は健常者と同じですが疲労度まで同じとは限りません。
“代替”した能力がとても優れていて、健常者よりも少ない疲労度で仕事ができるなら何も問題はありませんが、そのようなケースは極めて稀です。大抵は健常者よりも多大な疲労を伴うことが多く、健常者と同じ仕事量を振られるとやはり能力限界を超えて過労で鬱になる場合があります。

以上、“隠蔽”“模倣”“代替”と 3 つのケースをご紹介しましたが、もしかしたらまだ私の知らない他のケースがあるのかもしれません。

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