2018年2月15日木曜日

「配慮してほしい」は甘えではない

発達障害は障害なので、仕事や生活面で周囲に対していくつか配慮をお願いすることがあります。
「複数の仕事を一度に依頼するときは優先順位を明確にしてほしい」
「仕事を依頼する時に私がメモをとる時間をいただきたい」
「ゆっくり、はっきりしゃべってほしい」
「電話応対を免除してほしい」
他にも発達障害者によって各々多種多様なお願いをさせていただくわけですが、
お願いされた健常者の方によっては、「努力もせずに配慮を求めるのは甘え。まずは実際にやって努力して、それでもダメなら配慮する」と言われて配慮を拒否されることがあります。
どうやら健常者の目には、発達障害者が何も努力をせずに配慮を求めているように映ることが多いみたいです。
まずは実際にやって努力してそれなら・・・、という考えは間違ってはいませんが、発達障害者が何も努力をせずに配慮を求めているというのは大きな誤解です。
何がどう誤解なのかご説明します。

発達障害は生まれつきの障害なので、最初は自覚がありません。中には発達障害でありながらも気がつかずに一生を終える人もいます。
彼らは自覚はありませんが、種々の障害を持っていますから、当然それらを克服しようと努力します。
努力と試行錯誤で工夫を重ね、健常者の何倍もの労力を日々費やしてなんとか普通に生活している人もいます。ちなみにそうして普通に生活している人は、その苦労を他の人も当たり前にやっているものだと思い込んでいます。故に、自分だけが苦労しているという自覚はありません。
そして当然のことながら努力と試行錯誤で工夫を重ねてもどうにもならない人がいます。しかし彼らは自分が発達障害だという自覚がありませんから、延々と努力と試行錯誤で工夫を重ね続ける日々を送ります。来る日も来る日も続くのです。
中には疲れ果てて自ら命を絶つ人もいますが、何かのきっかけで精神病院を受診して医者から「あなたは発達障害です」と診断が下されて初めて自分が発達障害であることを知ります。
めでたしめでたし・・・、とはなりません。まだ試練は続きます。
自分が発達障害であることはわかっても、自分が苦手なこと全てが発達障害によるものとは限らないからです。
例えば電話応対が苦手だとして、それが発達障害によるものであればいくら努力しても克服は不可能です。しかし、もしそれが発達障害によるものでなかったら、もしかしたら努力し続けたら苦手を克服できる日が来るかもしれません。
今日ダメでも明日には克服できるかもしれない。明日がダメでも明後日には・・・。それはダイヤモンドの鉱脈を探して山を掘り進むのに似ています。この山にダイヤモンドは全く埋まっていないかもしれない。でも掘り続けたらダイヤモンドを見つけられるかもしれない。あと 10 cm掘り進めたらダイヤモンドを見つけられる状態かもしれない。そんな思いに駆られるのです。
故に、発達障害の診断が下っても延々と努力と試行錯誤で工夫を重ね続ける日々が続きます。
しかし、人間の精神力は無限ではないのでいつかは尽きて諦めることになります。
「この歳まで努力して頑張ってもダメなのだからもう諦めても良いよね」と思い、やっと解放されるのです。
ちなみに私が解放されたのは 30 歳の時でした。「30 年頑張って努力してダメだったんだからもう諦めても良いよね」と思い、今できないことは全て障害のせいとやっと割り切ることができました。

そのようなわけで、「配慮してほしい」と言うのは甘えではないのです。
何も努力せずに「できないから配慮して」と軽い気持ちで言っているわけではないのです。
ぶっちゃけ、本当は「配慮してほしい」なんて言いたくないんです。
上記のような何年もの努力と苦悩を経て出しているとても重たい言葉なのです。
もしあなたが健常者で、発達障害者を使う立場になった時に「配慮してほしい」と言われたら、ここに書いてあることを思い出していただければ幸いです。

2018年2月14日水曜日

「そんなの誰にでもあるよ」に反論できない

発達障害の症状は、症状そのものは健常者でもよくあるものが多いです。
待つのが苦手、空気を読むのが苦手、片付けが苦手などは確かに健常者でもよくあるものです。
それ故、発達障害者が健常者に具体的な症状を伝えると「そんなの誰にでもあるよ。」と返されることがよくあります。時には「それを配慮してくれというのは甘えだよ」という追加攻撃まで来くることもあります。
確かに症状そのものは健常者でも誰にでもあるものが多いです。しかし、当ブログ「精神障害って何? 発達障害って何?」の記事でも書きましたが、「普通に生きていくことが困難なほど症状が重い」から障害なのです。「症状の内容は誰にでもあったとしても、症状の重さは誰にでもあるものではない」のです。
ところが、「そんなの誰にでもあるよ。」と言われた発達障害者の側が反論できないで終わる場合がとても多いのです。
何故でしょうか。健常者から見れば、相手に誤解されてしまったのですから、反論して誤解を解けば良いだけのはずと思うことでしょう。
というわけで、何故反論できないのかを説明したいと思います。

結論を先に言いますと、それは「自信がない」からです。
何の自信が無いのかと言いますと、「それは誰にでもあるものではない」と明確に否定する自信が無いのです。
何故自信が無いのか。それは、発達障害者は健常者がどういうものか知らないからです。
発達障害は生まれつきの障害ですから、発達障害者は健常者というものを経験したことがありません。発達障害者しか経験したことが無いのです。そして、経験したことが無いわけですから健常者がどういうものかを全く知りません。
健常者がどういうものかを全く知らないということは、健常者から「健常者はこうなんだよ!」と言われてもその真偽を確認する術が全く無いのです。
だから、「そんなの誰にでもあるよ」と健常者に言われた時、「誰にでもある」、つまりそれが「健常者でもある」かどうかが発達障害者には確認不能なのです。
確認不能なのですから、「そうじゃない!」と自信を持って否定することができないのです。
大抵の発達障害者は「もしかしたらこの健常者さんの言うとおりかもしれない・・・」と考えてしまって、全く反論できなくなってしまいます。

ではどうすれば良いのか。
発達障害者の側は、自信を持って否定していくしかありません。
普通に生きていくことが困難なほど症状が重いんです! 症状の内容は誰にでもあったとしても、症状の重さは誰にでもあるものではないんです!
と胸を張って訴えていくしかありません。たとえ自信が無くてもです。
逆に、健常者の側にはここまで書いたことを理解していただけるとありがたいです。理解まで行かなくても、知っておいていただけるだけでも結構です。
発達障害者はその名の通り障害者で、周囲の配慮無しでは生活していくことが難しいです。しかし、逆を言えば適切な配慮さえいただければなんとか生活していくことができます。
ここまで書いたことを知っておいていただけるだけでも立派な配慮です。

昨今、メディアなどで発達障害の症状などはよく報道されていますが、どのように理解すれば良いか、またはどのように配慮すれば良いかの情報はほとんど流れていません。
故に、このブログがその情報の穴を埋める一助になれば幸いです。

2018年2月13日火曜日

発達障害の大変さを説明する

前回から大分時間が空いてしまいましたが、基本的に更新するかどうかは管理人の気まぐれですのでご容赦を。

さて、前回は「できるからといって、健常者と同じようにできているとは限らない」ことを電卓の例で説明しました。
実のところ、この電卓の例は発達障害の大変さをわかりやすく説明する良い例ではないかと我ながら思っていたりします。
というわけで、何がどう良い例なのか発達障害の特徴を挙げつつ説明したいと思います。

ある会社の同じ職場に A さんと B さんの 2 人の社員がいました。
A さんと B さんはそれぞれ電卓を持っていて、A さんの電卓は普通の電卓。B さんの電卓は掛け算のボタンの無い電卓です。
ちなみに、彼らの持っている電卓は持ち主本人にしか見えません
ある日、彼らの上司が A さんと B さんに新しい仕事の指示を出しました。

上司:『10 × 10 の計算をしろ』

A さんは「[1][0][×][1][0][=]」で答えを出しました。
B さんは「[1][0][+][1][0][+][1][0][+][1][0][+][1][0][+][1][0][+][1][0][+][1][0][+][1][0][+][1][0][=]」で答えを出しました。
そして、

A さん:『100 です』
B さん:『100 です』

と報告しました。
それを聞いた上司は『2 人とも問題なく同じようにできているな』と判断しました。
次の日、上司は A さんと B さんにまた新しい仕事の指示を出しました。

上司:『100 × 100 の計算をしろ』

A さんは「[1][0][0][×][1][0][0][=]」で答えを出しました。
B さんは「[1][0][0][+][1][0][0][+]・・・(省略)・・・[+][1][0][0][=]」で答えを出しました。
そして、

A さん:『10000 です』
B さん:『い・・・10000 です。(疲労困憊)』

と報告しました。
それを聞いた上司は『2 人とも問題なく同じようにできているな』と判断しました。
次の日、上司は A さんと B さんにまた新しい仕事の指示を出しました。

上司:『今日から毎日、100 × 100 の計算をしろ』

A さんは毎日「[1][0][0][×][1][0][0][=]」で答えを出します。
B さんは毎日「[1][0][0][+][1][0][0][+]・・・(省略)・・・[+][1][0][0][=]」で答えを出します。
そして毎日、

A さん:『10000 です』
B さん:『い・・・10000 です。(疲労困憊)』

と報告し続けました。A さんは涼しい顔で、B さんは疲れた顔で。
B さんはとても疲れていましたが、『疲れているのは A さんも同じ! A さんも同じことができているのだから自分も頑張らなくては!」と思い、毎日頑張りました。
そうです。B さんは自分の電卓に掛け算のボタンが無いことを知りません。A さんの電卓に掛け算のボタンがあることも知りません。いえ、そもそもこの世に掛け算のボタンが存在することすら知りません。
だから、B さんは自分と A さんは同じ条件だと思い込んだまま頑張り続けました。
しかしある日、限界が来ました。B さんが電卓のボタンを押そうとしても指が動いてくれないのです。
B さんは上司に相談しました。

B さん:『すいません。この仕事は大変すぎて私にはもうできません。』

しかし上司は言いました。

上司:『何を言っているんだね。君は A 君と同じようにできてるじゃないか。できないなら仕方が無いけど、A 君と同じように出来ているのにやりたくないというのは怠慢だよ。それは認められない。』

上司はとりあってくれませんでした。
そうです。B さん本人だけでなく上司も B さんの電卓に掛け算のボタンが無いことを知らないのです。
また、B さん自身も自分の電卓に掛け算のボタンが無いことを知らないので、上司に反論することができませんでした。
そして、B さんは『自分は無能な人間なんだ』と思い込み、うつ病になって会社に行けなくなってしまいました。

内容は前回書いたのと全く同じです。それでは発達障害の特徴を挙げていきたいと思います。

(1)障害が他者から見えない

B さんの電卓は周囲の人から見えません。故に、B さんの電卓に掛け算のボタンが無いことも見えません。発達障害は外から見えないのです。

(2)障害があることを自分で気づかない

B さんの電卓には掛け算のボタンが無いわけですが、B さんは他者の電卓を見たことがないので、そのことを B さん自身が知りません。
発達障害は生まれつきの障害なので、発達障害者は健常者というものを経験したことがありませんから、健常者がどういうものかを知ることができない。健常者がどういうものかわからないから、健常者と自分を比較して違いの有無を確認できないということです。
故に、発達障害者は障害があることを自分で気づかないのです。

(3)障害の具体的症状が自分でわからない

B さんは A さんの電卓を見られないので、自分の電卓に掛け算のボタンが無いことを知ることができません。ましてや、この世に掛け算のボタンが存在することすら知りません。
発達障害者は漠然とした生き辛さを感じてはいるものの、それが具体的に障害のどういう症状が原因なのか自分でわからないのです。

(4)障害の具体的症状を相手にうまく説明できない

B さん自身が自分の電卓に掛け算のボタンが無いことを知ることができないわけですから、掛け算のボタンが無いことを上司に説明できません。
発達障害者は自身の障害の具体的症状を相手にうまく説明できないのです。

(5)どういう配慮をしてもらえば良いかわからない

もしも B さんが A さんの電卓を見ることができたら、B さんは「掛け算のボタンが無いから、それを使わない仕事にしてください」と上司に言うことができて問題は解決できました。しかし、実際には B さんは A さんの電卓を見ることができないのでそれはとても困難なことです。
発達障害者は障害の具体的症状が自分でわからないが故に、どういう配慮をしてもらえば良いかわからないのです。

以上です。いかがでしょうか。発達障害の何が大変かおわかりいただけましたでしょうか。
私自身、発達障害の大変さを健常者に理解してもらおうと今まで色々試してきましたが、この電卓の例を出すのが一番効果的でした。病院のデイケアの精神保健福祉士さんからも「わかりやすい」と言われました。

ちなみに、ここまで読んだ人の大半は「じゃあ、どうすれば良いの?」と思うことでしょう。私自身もそう思います。
ぶっちゃけ、一発解決する方法は現在のところありません。日常生活や仕事中で、おかしなところを周囲の人に指摘してもらったり、発達障害者どうしで情報交換したりしながら試行錯誤していくしかないのが現状です。
ただ、おかしなところを周囲の人に指摘してもらったりするにも周囲の理解が必要ですが、世間一般の理解はほとんど無いに等しいです。
上記の電卓の例はそんな周囲の理解を少しでも得られるようにするために私自身が考え出しました。
この電卓の例が少しでも読者さんのお役に立てれば幸いです。