発達障害は障害なので、仕事や生活面で周囲に対していくつか配慮をお願いすることがあります。
「複数の仕事を一度に依頼するときは優先順位を明確にしてほしい」
「仕事を依頼する時に私がメモをとる時間をいただきたい」
「ゆっくり、はっきりしゃべってほしい」
「電話応対を免除してほしい」
他にも発達障害者によって各々多種多様なお願いをさせていただくわけですが、
お願いされた健常者の方によっては、「努力もせずに配慮を求めるのは甘え。まずは実際にやって努力して、それでもダメなら配慮する」と言われて配慮を拒否されることがあります。
どうやら健常者の目には、発達障害者が何も努力をせずに配慮を求めているように映ることが多いみたいです。
まずは実際にやって努力してそれなら・・・、という考えは間違ってはいませんが、発達障害者が何も努力をせずに配慮を求めているというのは大きな誤解です。
何がどう誤解なのかご説明します。
発達障害は生まれつきの障害なので、最初は自覚がありません。中には発達障害でありながらも気がつかずに一生を終える人もいます。
彼らは自覚はありませんが、種々の障害を持っていますから、当然それらを克服しようと努力します。
努力と試行錯誤で工夫を重ね、健常者の何倍もの労力を日々費やしてなんとか普通に生活している人もいます。ちなみにそうして普通に生活している人は、その苦労を他の人も当たり前にやっているものだと思い込んでいます。故に、自分だけが苦労しているという自覚はありません。
そして当然のことながら努力と試行錯誤で工夫を重ねてもどうにもならない人がいます。しかし彼らは自分が発達障害だという自覚がありませんから、延々と努力と試行錯誤で工夫を重ね続ける日々を送ります。来る日も来る日も続くのです。
中には疲れ果てて自ら命を絶つ人もいますが、何かのきっかけで精神病院を受診して医者から「あなたは発達障害です」と診断が下されて初めて自分が発達障害であることを知ります。
めでたしめでたし・・・、とはなりません。まだ試練は続きます。
自分が発達障害であることはわかっても、自分が苦手なこと全てが発達障害によるものとは限らないからです。
例えば電話応対が苦手だとして、それが発達障害によるものであればいくら努力しても克服は不可能です。しかし、もしそれが発達障害によるものでなかったら、もしかしたら努力し続けたら苦手を克服できる日が来るかもしれません。
今日ダメでも明日には克服できるかもしれない。明日がダメでも明後日には・・・。それはダイヤモンドの鉱脈を探して山を掘り進むのに似ています。この山にダイヤモンドは全く埋まっていないかもしれない。でも掘り続けたらダイヤモンドを見つけられるかもしれない。あと 10 cm掘り進めたらダイヤモンドを見つけられる状態かもしれない。そんな思いに駆られるのです。
故に、発達障害の診断が下っても延々と努力と試行錯誤で工夫を重ね続ける日々が続きます。
しかし、人間の精神力は無限ではないのでいつかは尽きて諦めることになります。
「この歳まで努力して頑張ってもダメなのだからもう諦めても良いよね」と思い、やっと解放されるのです。
ちなみに私が解放されたのは 30 歳の時でした。「30 年頑張って努力してダメだったんだからもう諦めても良いよね」と思い、今できないことは全て障害のせいとやっと割り切ることができました。
そのようなわけで、「配慮してほしい」と言うのは甘えではないのです。
何も努力せずに「できないから配慮して」と軽い気持ちで言っているわけではないのです。
ぶっちゃけ、本当は「配慮してほしい」なんて言いたくないんです。
上記のような何年もの努力と苦悩を経て出しているとても重たい言葉なのです。
もしあなたが健常者で、発達障害者を使う立場になった時に「配慮してほしい」と言われたら、ここに書いてあることを思い出していただければ幸いです。